行方不明者が2,000名

昭和28年西日本水害(しょうわ28ねんにしにほんすいがい)は、1953年(昭和28年)6月25日から6月29日にかけて九州地方北部(福岡県・佐賀県熊本県大分県)を中心に発生した、梅雨前線を原因とする集中豪雨による水害である。また白川流域でも7月中旬に再度集中豪雨が発生し新たな災害をひき起こしている(後述)。

1953年の梅雨は5月下旬に入梅し7月20日頃に梅雨明けする例年よりも長い梅雨の期間であり[1]、しかも期間中死者・行方不明者が2,000名を超える大きな被害を西日本各地にもたらしており、特異な気象状況であった。玉名市、菊池村、隈府町、山鹿町などが浸水被害を受け、菊池川流域では死者7名、全半壊家屋572棟、浸水家屋1万5335棟に上った[22]。筑後川上流部の熊本県流域でも猛烈な豪雨が降ったことにより、筑後川杖立川)の水位が6月26日10時に九州電力杖立取水堰地点で警戒水位を7m以上上回る12.50mに達した。これにより川沿いにある杖立温泉では全ての連絡手段が不通となり孤立、旅館などが流失・損壊するなど大きな被害となった[23]。

恋は難しいね